クサダシは、昨日行ったミコノス島とは比較にならないほど開けている。ミコノスがリゾート地だとすれば、こちらは完全に都市だ。とくにここ近年のマンションの建設ラッシュは著しいとのことである。こちらでお世話になったトルコ人添乗員は、古きよき風景が年々失われている。昔のほうがよっぽど良かったと嘆いていた。
昨日は自由散策だったが、今日と明日はそれぞれの寄港地で上陸観光ツアーがオプションで選べるようになっている。上陸観光には、現地添乗員が同行するが、言語は、乗船している人達の人数に応じて用意するようである。現地のギリシア語に加え、言語人口が多い英語のツアーは間違いなくあるが、日本語は基本的には無い。ただし、日本からの乗客はパッケージツアーの一環として参加している人が大半だから、催行会社が準備していることが多い。オプショナルの上陸観光のため、全員が参加するとは限らず、自由行動するツアー客もいる。
今回、クサダシのエフェソス遺跡の上陸観光を選択した日本人は私とツアーで参加している2人だけだった。参加者が少なかったので、日本人ツアー客向けに対応してくれるはずのトルコ人添乗員が日本語で案内してくれることになった。クサダシの港には観光バスが待機していて、フロントガラスにツアー名と使用言語が書かれている。事前に、日本語ツアーのバスに乗っていいと聞かされたのでそちらに乗る。しばらくしてバスが出発。まずはエフェソスの方面に40分ほど走り、「聖母マリアの家」へ向かう。
この地は、聖母マリアが最後にお住まいになった場所、と言い伝えられて、昔から巡礼の地とされてきた。現在では、最後の場所であることの確証が学問的に証明できているわけではないが、一時期を過ごされた可能性が高いと言われる。1891年に発掘調査が行われ、1世紀と4世紀の壁の跡が残っており、7世紀には聖堂が建て直されたことが明らかとなった。
10分ほど車を進めると景色は一変し、巨大な遺跡群が出現する。僕は遺跡マニアではないが、そういう連中にはたまらないところだろう。エフェソスの遺跡は、イタリアのポンペイと並んで、町全体の施設が残っている貴重な遺跡群である。あまりにも巨大なため、修復も未だ手付かずで残っているところも多く見受けられる。きれいに修復された建物のすぐ脇には、無残に曝け出された大理石の欠片が横たわっている。建物の修復作業は難航を極めているようだ。あまりにも大量の大理石が散乱しているため、どの位置にどう配置されていたのかを特定することが非常に難しく、巨大なパズルをひとつひとつ紐解くように、膨大な時間をかけて作業するのだ。これらの石がもとの立派な建物として日の目を見るのは、いったい何時になるのだろうかと思うと気の遠くなるような思いだ。
バスでクサダシの港に戻り、出港までの休憩時間を過ごす。地元の茶店でチャイを戴いた。すすめられたのはアダチャイといわれるもので、きつい香りがする葉にそのままお湯を注いで戴く。からだにはいいよといわれたて飲んだが、漢方薬のような味がする。旅行中不摂生はしていなかったつもりだが、知らず知らずやってしまっているのかも。パンチの効いた味だった。
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実は、下船の順番は決まっている。全乗客が一度に降りられない手前、上陸観光の申込者が優先的に先のテンダーボートに乗り込むことになっている。つまり、寄港30分前、今回の場合は4時にはデッキで待機する必要があるのだ。既に30分遅れで飛び起きて、デッキへ慌てて向かうも、ツアー参加者の上陸は既に終わっていて、バスも発車してしまっている可能性が高いとのこと。今回も、事前に日本語ツアーのバスに乗っていいとのことであったが、それには乗れない。ツアーに参加できなくても、上陸はできるのでとりあえずは行けばどうかと言われるままテンダーボートに乗せてもらった。
もうひとつのクルーズ船「エイジアンⅡ」が用意していたオプショナルツアーに参加すればいいとのことである。ツアーは英語だが、申し分ない。この粋な取り計らいにより、港で待ちぼうけをしないで済む。ただ、出発が30分遅いため、出港までに間に合うことができるかという不安があるが、とりあえず封印しておく。途中で自分のツアーのバスを見つければ、それに乗り換えばいいとのことであった。
そこから1時間ほどのところに、普通の住宅地の一角に佇むバーに立ち寄る。白い壁に水色の窓枠の小さなバーだ。ビールを一杯たしなみながら、日が沈んでいくのを見る。それは観光というよりも、何か日常を漂わせる空間のようにも感じられた。