
この時、今夜の宿泊先である港町のオーレスンに行く方法を僕はまだ知らなかった。1ヶ所ある観光案内所に行くと、別のところで訊けという。そこへ行くと今度は、さっき行ったはずの観光案内所へ行けという。何度も往復したが、まったく分からなかった。
この周辺は、公共交通としての船、観光船、ボートなど、数々の船が行き交っている。それぞれ目的地が違っていたり、単に行って戻ってくるだけのものもあるから、自分が乗るべき船は何か正確に把握しておかないと、目的地にたどり着けない。やっとのことで、船の時刻表を手に入れた。午後3時の便に乗れば、オーレスンへ行くバスに接続できることになっていた。
そこで、そこから逆算して出発までの残り2時間をどう過ごすか考えた。レンタサイクルで高台へ向かうこともツアーがあったが、観光案内所の人によれば、時間的に厳しいとのこと。
残り2時間では周辺を散策する以外はありませんね、とのことであった。しかし、周辺の散策といっても、昨日ちょっとの時間だけでほとんど回りきれた。今さら同じことをしても楽しくない。とりあえず、ボートの停泊場に行くと、「フィヨルドガイディングツアー」の人に声を掛けられた。「これからツアーがあるけどどうだ?」という。所要時間を聞くと1時間ほどとのこと。2時に帰ってこられるから、ちょうど良い時間だ。少し値が張ったが、時間には代えられない。フィヨルドに来て何もしないのも寂しいないから乗り込むことにした。上下が一体となった分厚いつなぎのライフジャケットを身につけ、出発を待っていると、地元ノルウェーからの乗客と合流することになった。ボートは高速でフィヨルドを突き抜ける。風を切り裂く様な動きに爽快感を覚える。しかしながらひたすら走り続けるだけではない。
ビュースポットでは観光船では決して近づけないような至近距離まで接近し、自然のスケールを実感できる醍醐味がある。ガイランゲルフィヨルドの代名詞にもなっている、セブンシスターズ(7姉妹)の滝では、水しぶきを直接浴びることができた。あるいは、フィヨルドの両岸の高台にある町での生活の風景を解説を交えなら擬似体感できた。今ボートで移動しているこの場所の水深は250メートルを超えているそうだ。普通の川にはありえない深さだ。そういうわけか、水の色はどこも深い青色をしている。実際に航行してみて、両岸の山が想像していた以上に高いことに気付いた。フィヨルドのスケールの大きさを感じるにはうってつけのツアーだ。いいショットも撮れるとあって、ボートに乗る際にカメラ付きケータイとデジカメとムービーを一式持ち込んだ。ただ、深い水の上、落したら二度と戻ってこないから、管理は厳重を心掛ける。ジンバブエでのラフティングで川に放り出された教訓もあり、写真を撮り終えたケータイは落下防止器具をしっかり付けたままライフジャケットのポケットにしまい、カメラはボートが止まったときだけポケットから取り出して使うなど徹底した。ポケットに入れているときはファスナーを締めやマジックテープを止めた。
ボートが再び戻って、ライフジャケットを脱いで、着替えを終え、荷物を持った。船の出発まで1時間弱あったが、オーレスン行きのバスに接続する船はどこから出ているか、今一度、確認する必要があった。まだ、それらしき船が停泊していなかったからだ。ツアーの桟橋と大型船の港をさらに一往復したが結局、どちらが正しいか確信が持てなかった。念のため、もう一度桟橋に戻って、小さな案内ブースのようなところで訊き直すと、ようやく水上バス風の観光船で行けることがわかった。このとき出発の10分前。間一髪だった。
実は、僕のほかにもう一人だけ、オーレスンまで同行する人がいた。地元の観光ガイドで、この先オーレスンまでのバスも同乗するとのことである。不安から一転の安心。船内では、オーレスンまでのバス代を通しでクレジットカードで購入することができた。船は、先にボートのツアーで全速力で突っ切ったルートを今度は悠々と渡る。45分ほどでバス乗り場に接続する町へ着く予定だ。ふと、船内で荷物を確かめてみる。何かが足りないことに気付いた。「ケータイが無い!」 理由はすぐに思い出した。ボートのツアーに乗っている最中、落すまいと厳重にライフジャケットに管理していた。そして、入れっ放しのまま、ライフジャケットを脱いでこの船に乗り込んだのだ。これから一緒にオーレスンに行くガイドにそのことを伝える。ケータイの色と形の特徴、表面の液晶画面の下にテープで電話番号が張ってあること、そして、今日はオーレスンのトゥーンホテルに宿泊する予定であることなど、できるだけの情報を提供した。ケータイが見つかれば、今夜オーレスンに帰る同僚が、夜ホテルまで届けてくれると言う。何という親切さ! とにかく、ちゃんと見つかることだけを願って、自分たちは計画通りオーレスンを目指すことになった。予定通り出発から45分で到着。でもそこで降りたのは僕とガイドの二人だけだったのだ。この船、実は観光船だった。ほとんどの乗客はもう一度逆ルートで戻るようである。
バスに乗り換え、しばらく走ると左手に小屋が数件見えた。ものすごい田舎だが、ここには家族が住んでいて、毎朝家畜のミルクを絞っては、夕方には8キロメートル先の街まで売り歩いて、また戻ってくるという。それも10代の女の子だそうだ。にわかに信じがたい話だが、一所懸命に生きている話を、この旅では何度となく見たり聞いたりする。大自然の真っ只中で生きることは本当に大変なんだとつくづく感じる。すると、目前には牛の群れがやって来た。南アフリカでバブーンに遭遇したときも驚いたが、こちらもすごい。いったい彼らはどこに住んでいるのか?
ちょうど夕方5時になった頃、ユニオンホテルの前でバスが停まって暫く休憩することになった。こんな何も無い田舎町に隠れ家的に1件だけホテルが建っている。駐車場には数台、車が停まっていたが、実際宿泊客がいるようだ。ここは、ノルウェーでも有数の著名なホテルで、過去には作家コナン・ドイルも静養に訪れたことがあり、部屋がそのまま残されている。著名人がお忍びで泊まった部屋だけは、現在は展示スペースになっていて宿泊できない。中を入って見学させてもらった。建物に入るや、同行していたガイドのケータイが鳴った。僕のケータイが見つかったとの話だった。あとはオーレスンで帰還を待つだけとなった。ホテルの見学を終え、外観をカメラに収めた。そして、バスに再び乗り込んだ。5時10分過ぎ、道路はここで終わった。対岸からやってくるカーフェリーに、バスもろとも乗っかって移動する。約1時間の航行ののち、再びバスに戻る。まもなくオーレスンの港町に着く。
バスの旅もいよいよフィナーレ。8時過ぎ、大きな観光バスは、今日僕が泊まるトゥーンホテルの真ん前まで乗り付けてくれた。いくら乗客がガイドを除いて僕一人とはいえ、バスターミナルではなくホテルで降ろしてくれるなんて、想像もしていなかった。今回の旅で、おそらく最も感動する場面になることと思う。
ホテルでチェックインすると、1時間もしないうちに、部屋の電話が鳴った。フロントからだった。ケータイを届けてきてくれたのだ。バスの中で覚えた感謝のことば、「タッキ!」(=Takk。ノルウェー語で「ありがとう」)を思わず叫ばずにはいられなかった。これで長い一日が終わると思ったら、まだ続きがあった。ほどなく、2回目の電話が鳴る。相手は日本人の女性だ。「どうして僕の居場所が分かるんだろう?」事の真相はこうだ。実はオンダルスネスからガイランゲルに向かうバスの中で、僕は「パスポート」を落としていた(実際はパスポートではなく、パスポート型のメモ用紙だった)。そこには、旅の初めから終わりまで、予約している宿泊先の電話番号がすべて記してあった。僕はこの手帳を予備を含めて3つ持っていた。その一つが、彼女の乗ったバスの座席からでてきたという。最初これを見たとき驚いたそうだ。何しろ、表紙は完全に日本のパスポートだからだ。ただ、中身を見て吹き出したと思う。日本国外務大臣のところが「冗談大臣」とパロディーになっているからだ。
とはいうものの、中には大事な情報が書かれていたから、これは届けてあげなければと思ってくれたのだろう。一日遅れで明朝オーレスンに来るというので、8時半にバスターミナルで待ち合わせすることになった。時間が許せば、一緒にオーレスンを観光できれば思う。とりあえず1階のロビーで、明日のオスロ行きのスカンジナビア航空のフライトを遅らせることを考えた。
このフライトはもともと日本にいるときにインターネットで予約していて、変更OKのサービスにしていたため、ロビーのパソコンで簡単に変更予約ができると思っていた。しかし、パソコンの調子が悪く、うまくいかない。フロントで端末を借りるも上手くいかなかった。そこで、フロントで電話番号を調べてもらって電話で変更することになった。電話をかけてもらい、音声ガイダンスにつながりはしたが、さっぱりわからない。よくよく聞いてみると英語ではなくノルウェー語の自動アナウンスだった。仕方ないので、そのままホテルの人に代行してもらい、何とか事なきを得た。
この時点で夜の9時半。まだ夕食もとっていない。ホテルの人に近くのレストランバーを紹介してもらい、遅いお出かけとなった。たらのムニエルと付け合せのジャガイモをゆでたもの、食後にコーヒーを一杯。さすが港町、美味だ。食事を終えるや11時を過ぎていたが、空はまだ明るい。昨日のガイランゲルと緯度はそんなに変わっていないが、こちらは夕日を遮る山が無く、はるか先に水平線が見えるだけ。日没も幾分遅くなっている。このまま北欧に住み続ければ、僕なんて一気に寝不足になる。自己管理力が弱い人はここには住めないだろうとつくづく思った。今日は長い一日だった。そして、この旅のなかで、もっとも悔やまれる一日でもあった。その代わりに、人の優しさを感じることができた素晴らしい日でもあった。