2007年8月5日日曜日

Day25─空中都市への道(クスコ→マチュピチュ)

高地だからだろうか、不思議と早く目が覚めた。2階の部屋で荷物をまとめ、小さな共同スペースでパンとコーヒーの朝食をとっていると、迎えのガイドの人がやってきた。ガイドとはいっても、宿泊先からクスコ市内のサンペドロ駅までの案内だ。そこからマチュピチュの玄関口となるアグアスカリエンテス駅までの列車と、その先マチュピチュまでのバスに行くのは、単独行動となる。サンペドロに着くや、たくさんの行列を見た。これは何なのかと聞くと、当日券を待つ列だという。彼らは早い人で午前2時半頃から並びはじめるという。当日券には枚数に限りがあるので苦労して並ばなければならないのだ。僕が今日乗ることができるのも、誰かが待ってサポートしてくれたからだと、嬉しく思う。

駅の休憩所で、現地での行動についてのレクチャーを受けた。アグアスカリエンテスまでの行程、そこからマチュピチュ遺跡への移動のしかた、それから現地ガイドとの合流について…。アグアスカリエンテスに着いたら、その日泊まる宿にはチェックインせずにそのまま遺跡まで行くように念押しされる。列車の到着時刻は10時半から11時ぐらい、12時前にはツアーが始まるからだ。それから、バックパッカー列車のチケットと宿のバウチャーを受け取った。10分前に列車に乗り込み出発を待った。

午前7時、鐘の音。汽笛の音。そして「シュー」という蒸気が漏れる音とともに、ゆっくりと動き出した。ここから終着駅までのおよそ110キロメートルを約4時間かけて走る鈍行列車の旅だ。はじめ、列車はジグザグの線路を、何回も方向を変え、走っては停まり、停まったら走りを繰り返す。標高はどんどんと高くなり、いつのまにか眼下にクスコ市街が見えた。最初の数十分はこんな感じ。それからようやく一方向に進み始めた。

アグアスカリエンテスに向かう列車は、1日数本しか走らない。ほとんどが朝クスコを出て昼に着き、その日の夕方出発し夜遅くクスコに戻る。旅行者は行き帰りとも同じタイプの列車に乗らなければならない。旅行者は麓の宿に何泊でもできるが、帰るための列車に乗る時間は定められている。僕が乗ったのはそのなかで定番の「バックパッカー」と呼ばれるもので、比較的安く移動できる。

車内には食堂はないが、ちょっとした売店があって、そこでパン、菓子類、コーヒーなどの飲物を買うことができる。まずは、手始めにコーヒーを頂いた。バックパッカー列車は二人掛けの席が向かい合わせになった、コンパートメントの4人席になっている。僕が座ったコンパートメントには、リマから来たと言う若者とその両親が座った。両親はスペイン語しか話せないが、若者は英語とスペイン語のバイリンガルだ。したがって、専ら移動中は彼と話していた。(もちろん、通訳でところどころ中断するのだが)

彼はリマにあるIT系の会社に勤めていて、ちょうどいまは夏の休暇と言っていた。どこでもこの業界は同じなのか、休暇は数日と短いものである。そのうち大半のをクスコとマチュピチュで過ごすという。同じペルーといっても、リマからは約1000キロメートルの遠い距離にある。国内旅行といっても簡単に行けるものではない。マチュピチュを楽しんだ後は、再びバックパッカー列車でクスコに戻り、翌朝リマに帰るという。マチュピチュで泊まるのか聞いておこうと思っていたが、すっかり忘れていた。

そうしていうるうちに、周りの景色が変化しているのが見て取れる。最初は乾燥したような大地。まわりは赤茶けたような灰色に似た地面に、同系色の石造りの家々が目立つ。沙漠とはいえないが、木や水はほとんど見えない。線路のすぐそば、山の斜面の傍にまで宅地がある。踏み切りには行き交う人々、ときどき自転車やバイクのようなものも見かける。彼らの多くは決して派手さは無いが豊富な色をもった民族衣装に身を包んでいる。前半の典型的な景色だ。そのうち進んでいくと、赤茶けた風景に変わって、切り立った崖の上や側面にわずかに生えている木々を見る。少しずつ標高が下がっている証拠だ。そして、ウルバンバの川に遭遇する。ここからは、ほぼ川沿いに列車は走る。

後半は、川の水面に日の光が照らされていて、それから、山の緑が段々と濃さを増して行く姿と一変する。列車はウルバンバ沿いを快調に走る。先頭のはるか向こう大山脈の頂にうっすらと覆われた雪を見た。今度はちょうどその反対側、先ほど走っていた方向を見る。赤茶けた山の連なりが見えた。

アグアスカリエンテスにつく数十分前から、プラットホームもない、とても駅には見えないところで、どころどころ停車する。見てみると、終着駅でもないのに続々と欧米人風のバックパッカーが大きな荷物を背負って線路伝いを歩いていった。この辺りは、インカトレイルといわれるトレッキングコースなっていて、彼らは3000m級の山でキャンプをしながらマチュピチュを目指すようだ。早くから降りているのは1週間を超えるキャンプに参加する上級者、それから3、4日の中級者、アグアスカリエンテスに着く十数分前に降りているのは3時間ほどの初心者向けコースだ。マチュピチュには行きかた一つとっても、それぞれの楽しみ方がある。

10時57分、列車は定刻より幾分早く山麓のアグアスカリエンテス駅の構内にゆっくり入った。ほどなく到着。ここで車内で行動をともにしていたペルー人の家族と別れる。天気は良く、雲はぽつりぽつりとある程度だ。日差しが予想外に強いように感じる。ガイドツアーで脱水症状にならないようにミネラルウォーターのペットボトルを買う。ここでは水のことをアグアといい、炭酸ありのコン・ガスと、無しのシン・ガスがある。普段から炭酸無しで飲んでいるので、迷わずシン・ガスにしておく。ちなみに駅の名称の一部となっているアグアスも同じ。カリエンテは温かいということだから、そのまま温泉という意味になる。つまり、ここには温泉があるのだ。

アグアスカリエンテスの駅は新駅と旧駅の2つがあって、駅の手前途中で分岐している。僕が降り立ったのは少し高いところに建っている新駅で、ツアー客の急行列車専用だ。外国人が乗ることができるのはこちらだけだ。旧駅の方は地元民専用の各駅列車が止まるところだ。新駅のまわりにはたくさんの民芸品売場があって、見ているだけでも楽しいものだ。品定めをする時間はできなかったので、そのまま坂道を降りて、バス乗り場に急ぐ。そこには銀色の車体で虹色のワンポイントをあしらった、綺麗なマイクロバスが数台列をなしている。

フロントガラスには行き先の「MACHUPICCHU」の文字と一緒に数字が書いてあったが、20と書かれているのも見えた。少なくとも20台はあるということだろうか。とにかくたくさんの旅行客を山の上にある遺跡の入り口までピストン輸送しているのだ。最初は番号が違うとどこか他のところに行ってしまうのかと警戒していたが、すべてのバスがマチュピチュ行きだと分かったので、一番最初に出発しそうな7番のバスに乗った。初日のバスチケットは朝受け取った列車のチケットと一緒に入っていたので、そのまま使うことができる。

そのあとは崖に面した、バス2台がぎりぎりすれ違うことができるような狭いつづら折りのハイラム・ビンガム・ロードを30分掛けて移動する。これでも、以前に比べれば道が拡幅されたようだ。ドライバーは熟達しているので見える景色ほど危険は感じない。眼下には先ほどまで走ってきた鉄路が小さく見える。そして、進行方向を見ると、テレビ番組で見たような急峻とした山の頂がちょっとだけ顔を覗かしているのが見えた。リマに着いてからおよそ40時間。ついにマチュピチュ遺跡の入口に着いた。

バスを降りて、サンチュクアリーロッジの前を通って集合場所にたどり着く。まず全員が集まり、英語ガイドのグループとスペイン語ガイドのグループに分かれる。両者はほぼ半々だ。僕は英語ガイドのグループに加わり、ガイドの後について遺跡に入った。まずチケットに名前を記入、それから一人ずつ入口のチェックポイントでスタンプを押してもらう。いよいよ遺跡の全貌が見え始めた。進行方向の左側には岩壁があって、世界にその存在を知らせた米国人探検家ハイラム・ビンガムを記念する銘板があった。そして進行方向には釣鐘型の山が幾重も見えた。これまでテレビでしか見たことがない光景にまず感動。そして入り口に最も近い、農地管理人住居跡が見下ろせる場所に停まって、ガイドが始まった。一旦見張り小屋付近へ移動する。所要10分ほどでマチュピチュ全景が撮影できるポイントに着いた。

ここは、旅行雑誌や観光パンフレットなどの表紙を飾る定番の景色が撮影できるとあって、ひっきりなしに観光客がめざすところだ。譲り合いながら撮影をする。中にはテレビの取材クルー顔負けの大きなカメラや、三脚付きカメラを持って撮影している人も見た。カメラをバシャバシャ撮るのは、以前は日本人の専売特許だったが、デジカメが世界中に普及している現在となっては今は昔だ。とくに、気軽に来ることができないこの場所では、カメラをぶら下げていない人に出会うのは皆無だ。それどころか、それだけでは飽き足りず、ムービーを合わせて2台持っている人をたくさん見かけた。自分もそのうちの一人だったが…。

遺跡の中でも一際目立つのが、見渡すばかりの段々畑だ。山地が多い日本にも段々畑はいくつもあるが、こんな断崖絶壁に連なる段々畑といったら、まるでスケールが違う。インカの民の驚くべき能力と言うほかない。そのままではとても暮らせないような山中にたくさんの町を作って、たくさんの人々を住まわせ養うためには、山の斜面にも畑を作って、耕作をせざるを得なかったのだろう。今は観光客しかいないが、その昔、たくさんの人々が農作業をしている姿を想像する。畑を一段昇り降りするだけでも10数段の階段を昇り降りしなければならない。まして、農具を持ちながらその何十倍も移動したことを考えれば、その農作業は想像を絶する任務だったに違いない。それを日常であるインカの人々は現代人とは比べ物にならないほど並外れた体力を持っていたかも知れない。

2時間のガイドが終わって自然解散になったが、今日は麓の村に宿泊するため最終バスの時間まで残ることができる。時間があるので、ツアーで行けなかったところに行ってみることにする。早速、入り口から最も遠いワイナピチュへの入り口に向かった。途中、放牧されている複数のリャマに出会う。のんびりと草を物色している光景が何ともほのぼのする。チェックポイントについたものの、ゲートは閉じられていた。今日は既に締め切られたようだ。ここは1日400人の限定と張り紙がされてあった。道の保護と旅行者の安全のため、早朝にゲートが開くが概ね昼前までに400人に達して閉鎖となる。その後は戻ってきた人にだけゲートが開けられるとのこと。明日行くかどうかは、明日考えよう。

3時頃、これから沈み始める太陽を背景に撮った遺跡は美しかった。あまり遅くなっては麓の村を楽しめないし、朝列車のコンパートメントで一緒になったペルー人の家族からもらったクロワッサンを食べて以来何も口にしていなかったので、そろそろおなかがすいてきた。早目だったが切り上げることにした。出口を出てすぐの屋外カフェテリアで飲物を買って、バスに乗り込んだ。4時前には麓の村に着きチェックイン。かなり疲れていたので、食事の前に温泉に行くことにした。

緩やかとはいえない坂道を上っていかなければならないので決して楽とはいえないが、先に温泉があることがわかっているから何とかなるものだ。道すがら、水着レンタルの店が複数あった。どれも、どこもカフェや土産物屋に併設してあるので副業のようなものだ。水着とタオルはリマのペンシオンを出るときに持参していたので、そのまま素通り。川沿いの散歩道の先に入り口の小屋があり、そこで入浴料の10ソルを払う。チケットは2枚あるが、二人分ではなくこれで大人一人分だ。川を横切って2、3分歩いたところに温泉施設がる。そこに併設された小さなバーを過ぎたところに荷物の預かり所がある。先に階段を降りて着替えた後、荷物と靴を預けた。

温泉というよりもなんとなくプールの感覚だ。手前の浴槽には誰も入っていない。足を突っ込んでみると冷たい! 水だった。その先には底が浅い浴槽。こどもがたくさんいた。その次にある浴槽は2つに区切られているが最大のものだ。底は柔らかく、おそらく砂を敷き詰めているのではないかと思う。ちょっとなめてみたが塩味がするからおそらくナトリウム泉だろう。お湯は熱いというよりもぬるい感じだ。ただ、外がやや涼しかったからこれでじゅうぶん。近くには打たせ湯のようなシャワーがある。これが一番温かくて気持ちよかった。ときどきその場所と大きな浴槽を往復する。

温泉に入っていると中高年の男性に日本語で話しかけられた。でも外観はどう見てもペルー人だ。聞いてみると今から20数年前に日本語を習っていたという。
仕事の関係で日本ともやりとりしていたようで、その時の蓄積があってまだ話せるようだ。ペルーは日系人がたくさん住んでいるから、彼らを通して日本を知ったのであろうか。事情は詳しく聞いていないからよく分からないが、英語すらほとんど通じないこの場所では意外。ペルーならではで、他の南米諸国ではちょっとお目にかかれないのではと思う。

疲れがとれたところで食事に出掛ける。日没はとうに過ぎており、辺りはすっかり暗くなっている。温泉からの帰り道、通り沿いに明るく照らされた窓際に温かみを感じる。この辺りはバーやレストランが多く、夜になっても観光客が絶えることがない。ペルーなのに何故かイタリアンレストランが多い。そういえばクスコもそうだったが、高価なイメージがしないイタリアンの看板を掲げていればお客さんを引き付けやすいのか、それともイタリア人観光客が多いのだろうか、真相は不明だ。ここまで来てイタリアンはないだろうと、(実は昨日のクスコではイタリアンだった)、ペルー料理の店を見つけて入った。

さすが世界中から観光客が来るところなのか、英語メニューがあったのには感心。その中に気になったメニューを見つける。アルパカのステーキだ。実はこちらに来る直前、リマの空港でアルパカのセーターを買っていた。アルパカは着るものというイメージがあったから、ステーキとは何ぞやと思った。気になったら試したいみたいものである。実はクスコ周辺では普通に食べられているようである。トライしてみたが、肉質はちょっと硬めで(薄くしてこんがり焼いていたのでそんなに気にならなかったが)味にはくせがあった。お世辞でもおいしいとは言えないが、なんとか完食した。

明日ももう一度、出発前までマチュピチュに行くため、チケット手に入れなければならない。昼にアグアスカリエンテスのバス出発場にいるときに、チケットを事前にクスコで買って持っていない人はバスに乗って行かないように、という注意書きの看板を見ていた。実はマチュピチュの入り口にはチケット売場はない。狭いから混乱しないようにするための策だと思う。同じ看板には、中心街のアルマス広場近くの観光案内所でチケットが買えると書かれていたので、宿の人に聞いてそちらに向かう。欧米の観光客が大半だったが、現地の人も何人かいた。

マチュピチュの入場料は120.5ソル。日本円では4千円近くするから、かなり高いほうだ。チケットの値段にはいろいろあって、僕のように外国人の大人が買うのは最も高いものだ。こどもはもちろんのこと、学生料金も少し安くなっている。でも、何よりも安いのはペルーの人たちだ。ペルーでは国民一人ひとりにIDカードが支給され、あらゆるところで身分証明などに使われている。日本で運転免許証がいろんなところで役に立つのと同じようなものだが、IDカードを提示すれば外国人のほぼ半額でチケット買うことができる。日本にも住基ネットなどあるが、こういった国民本位のサービスもしっかり考えて欲しいものである。

そのあと、久しぶりにインターネットで近況報告でもしようと、街のネットカフェを何軒か回る。実はこんな山奥にあるインカの空中都市跡でも、21世紀の現在にいたってはIT化の波と無縁ではない。インテルネットと看板を掲げている店はちょっと見渡すだけで4、5件はある。ただ、どこも土産物屋やレストランにパソコンを置いた片手間のビジネスで、日本のインターネットカフェのようなしっかりとしたものではない。当然、通信事情は非常に悪く、スピードも遅いし途中で画面がかたまってしまう。3件入って試してみたものの、到底使いものにならなかったので、あきらめて宿に戻ることになった。

部屋付きのシャワーを浴びて、ドアを閉めるとロックしたまま動かなくなってしまった。慌ててフロントに駆け込み、カギを開けてもらう。のんびり過ごせた列車内を除くと、バタバタした1日だったが、今日も何とか無事に終わった。