2007年8月7日火曜日

Day27─リマの日常

朝8時前には迎えのガイドがやってきてタクシーで空港に向かう。リマ行きのチェックインを終えたらここでお別れ。そして搭乗ゲート外のターミナルにあるみやげもの屋でトゥミの壁飾りと本のしおりを買う。それから空港税を払って、支払証明シールを貼ったボーディング・パスを持ち、搭乗ゲートに入る。出発まで2時間ほどあったので、搭乗ゲート付近のみやげもの屋にも立ち寄った。

ここに来るまで西回りで地球を半周(距離的には1周分だが)してきたが、道中で荷物にならないようにと極力買いものは避けてきた。行った先々で買ったものと言えばポストカードくらいだ。これなら多少あっても、そう嵩張るものではないからだ(とは言っても、これだけでも結構な量になったのだが…)。ここに来て、そろそろ何か買わなくてはタイミングを逃してしまうと考え、銀細工のアクセサリーを纏め買いすることにした。リマに着いたら真っ先に郵便局から実家に送る心積もりだ。そのほかにクスコの宿でのウェルカムドリンクで頂いたお茶が欲しかったが見つけられなかった。後でわかったのだが、これはコカ茶だったので、どちらにしても日本には持ち帰ることはできないようだ。

機上では一昨日見た景色と再会する。乾燥しきっていて木が極端に少ない山肌が延々と続いている。やがて機窓から見える山頂がみるみる遠のいて、山も少なくなってきたところでリマの空港に着陸した。そして空港で待機していたガイドと合流し、拠点としているペンシオンに案内してもらう。途中空港内の郵便局に寄ってもらい、クスコでのみやげ物一式を無事実家に送ることができた。出国の日には、マドリッドで送り損ねたガイドブックや要らなくなった旅道具を一人で送らなければならないので、ちょうどいいリハーサルにもなった。

ペンシオンに着いたのは昼過ぎ。明日はほぼ丸一日かけてナスカまでを往復するし、明後日は朝7時のフライトに間に合うように4時半にはここを出なければならないので、実質リマの街を散策できるのは今日の午後だけだ。これまでもそうだったが、都会から離れた世界遺産ばかり巡っているので、普通の海外旅行で誰もが楽しみにする都会の雰囲気を味わうことはほどんどできないでいる。空港は都会にあるが、すぐに拠点の町へ移動しなければならないからだ。

あと2、3日リマに滞在できたとすれば、見るところはいくらでもあるし、公共の交通機関を使っていろんなところにも出掛けられるかもしれない。地理に慣れたところで自由に行きたいところに行けるかもしれない。しかし、半日しかないとすれば、いろいろ探しているうちに日が暮れてしまうだろうし、迷って宿に戻れなくなるかも知れない。言葉がわからない中で電車ならまだしも、バスやタクシーに乗って遠出するには自信が無い。

日本にいる時は電車慣れしているからだと思うが、旅先に電車が無いのは思いのほか不安だ。駅なら地図のどこにあるか見当をつけられるが、無数の通りの名前を地図の中から探すのは至難の業である。結局、今日は歩いていける場所を探して出掛けることにした。

まずは手始めにペンシオンが面する通りを行ったり来たりして、ペンシオンの場所を確認しておく。近くに来てから見つけられなくては大変だからだ。それから略地図の範囲を少しずつカバーするように、大回りして周辺の位置関係をつかんでいく。目印の店が多いグレゴリオ・エスコベド通りを南下するとペルシング通りと交差するところに大きな「METRO」の看板が見えた。リマには地下鉄は無いはずだ。持っているガイドブックにも一切そのようなものは書いていない。遠くからは駅の建物に見えなくも無いが、近づくと何のことはない、大型のスーパーマーケットだった。その建物に回り込むように進んで、ブラジル通りに差し掛かったところでそこを北上する。

ペンシオンでもらった略地図にあった唯一の見どころは国立考古学人類学歴史学博物館だった。この博物館の近くにあるブラジル通りはペンシオンの近くでは一際目立つ大通りで交通量は非常に多い。沿道にはいくつもの鉄筋コンクリートの構造体が見え、高いものでは20階ほどにもなる。目を凝らすとマンションの案内が見えた。2LDKとか3LDKとか書かれたところに、数万ドルとあった。ペルーの一般的な年収がどれくらいかはよく分からないが、数百万円の物件は決して安い買い物ではないかと思う。でも、至るところでこのような建設ラッシュに出くわした。

ここに来るまでペルーに関する知識はほとんどなくて、10年前の日本大使公邸人質事件が示す通り政情不安の国との印象が強かった。そういう問題は確かに一部では続いているが、現在では力強く経済成長している姿があった。特にリマは800万人の大都市で、ペルーの人口のの3分の1が集中するところだからそう見えるのかも知れない。確かに、周辺の町がどんどん人口流出してこの街に集まっているのも実態のようであるが。

通りを歩いているとだけでも活気というか熱気というか、それを肌で感じることができる。路線バスと言えば、大型で綺麗に色塗られ、電光掲示板で行き先表示をしている近代的な車体をイメージしてしまうが、ここの路線バスである「ミクロ」はそれとは全然違うものだ。

ほとんどはオンボロのマイクロバスのような車体の側面に経由地の通り名が書かれているものだ。通りの真ん中には安全地帯があって、そこに簡易的な停留所がつくられている。そこに近づくと車掌のような人が中央のドアを開けながら前のめりになって大きな声で行き先を連呼する。お客は自分の目的地に向かうバスに乗り込むのだ。どのバスもぎゅうぎゅう詰めで人が溢れかえっている。最初に見たときは言葉が分からないし、運転手がサイレンを鳴らしながら近づいてきたので喧嘩でも始まるのではないかと恐れていたが、単に行き先の案内だけだということに気付いた。ただ、慣れない外国人が乗りこなすのは少々難しそうだ。

それと驚いたのは車に乗っている人の交通マナーの悪さだ。大阪も大概ひどいと思っていたがそんな比ではない。方向指示器を出さずに平気で車線変更してくるし、ふつうでは入れないようなところにも急に割り込みをしてくる。運転マナーが良いガイドの人に乗せてもらっているときでさえ、何回もぶつかりそうになったぐらいだ。当然、交通事故もあちこちで起こりそうだと思うが、滞在中に数えるくらいしか見なかったのが不思議なくらいだ。我れ先とは、良くも悪くも活気がある証拠でもあろう。

ブラジル通りを渡って小さな筋を進む。途中デザイナーセンスが光るアトリエのようなものを見つけ、ここだろうかと思ったが、普通の店だった。さらに少し歩くと、大きな公園のような敷地に建物を見つけた。国立考古学人類学歴史学博物館はペルーで最大の博物館で、所蔵品の量は他の追随を許さない。古代アンデス文明からインカ帝国の時代、スペインの侵略を経て近代に至るまでの歴史に沿って展示がなされているが、特に先インカ期の展示品が多い。実はちょうどこの瞬間、自宅がある京都の文化博物館では「ナスカ展」が行なわれている。つまり、ここリマの博物館にある所蔵品の一部が現在、京都に出張中なのだ。ちょうど行き違いになっていて、不思議な感じがする。

ここには土器や織物、金属の飾りなどたくさんの展示品があったが、中でも壺の多さが目についた。壺にはリャマのような家畜や、鳥類、いろんな表情をした人間などの図柄のものがたくさんあった。それと圧巻なのは色とりどりの織物だ。鮮やかな色からは2000年の時を経たものとは到底考えられない。夕方4時を過ぎていて、訪れる客もまばらだったので、時間の割にはゆっくり見ることができた。ただ、少しだけ英語の案内がある以外はほとんどスペイン語での説明だったので、何が書いてあるかはほとんど理解できなかった。

博物館は開放的な雰囲気をしていて、展示部屋をつなぐスペースに中庭に抜けるドアがある。一通り展示を見終えたところで、外の空気を吸うため中庭に出る。研究施設のような部屋があったり、小さな図書館のようなスペースがあったりと、研究の拠点にもなっているようだ。いろいろ見回っているうちに場所を見失ってしまった。部屋に戻るドアはどこかと事務員に尋ねてやっと脱出できた。出口の直前にはパソコンが置いてあるバーチャル展示場があった。ペルーの地図を完成させるパズルゲームがあって、こどもにも人気がありそうだ。今やどこでもお馴染みの光景だ。

博物館を出ると日没が近づいていた。暗くなってから迷うと危ないので、面倒だが同じ道を大回りする。ブラジル通りを南下し、勤務を終えたのか、帰路に着いている人が目立つ警察病院と軍隊病院の前を通り左折し、再びペルシング通りに廻った。滞在中は1泊に朝食付きで申し込んでいたので、夕食はどこかへ行って摂らなければならない。今回の旅ではできるだけ宿での食事は避けて、街に繰り出して雰囲気を感じようと考えていたので、いい機会だ。店が多い市街地からは相当離れていたので、ここでも略地図を頼りに食堂に行くことにした。

食堂は表からは分かりにくい構造になっていた。表はパン屋になっていて、その横に魚の絵がかかれた小さな看板があったが、その存在に気付かなかったため、見つけるが遅れた。そのため、周辺の住宅街やビル街を何往復もすることになった。実際、パン屋の一角で営業している感じで、パン屋に併設されたカフェには客がいたが、魚料理の店には誰もいなかった。時間も遅くなっていたので、もう1件の肉料理の店を探すのはやめ、ここで食事することにした。

注文したのはペルーの魚介料理として有名なセビーチェ。白身魚やいか、たこなどの魚介にレモンベースのソースで味付けした冷製の料理である。地産のぶどう(のような)ジュースも合わせて注文する。付け合せにとうもろこしを乾燥させてナッツ状に仕上げたおつまみが付いていた。優に日本のものより数倍はあろう、とんでもないほど大きかった。もう一つの付け合せのパンと合わせると一皿でも十分ボリュームがあった。ちなみに味付けに使っていたのは、日本でおなじみ「味の素」だ。

食事を終えて、来た道を戻って買い物ついでに「METRO」に入った。ここには生鮮食料品から日用品、衣料品や生活必需品や家具もあって、必要なものは何でも揃うようになっている。惣菜やケーキなど出来合い物もあって、外見上は日本のスーパーとほとんど変わらない。強いて日本のスーパーと異なるものといえば、容器のスケールの大きさだ。ジュースや牛乳などはポリバケツのような大きな入れ物のものが多く、鶏肉などは一羽丸ごと売っている。店内のカートもホームセンターにあるような大きなものだから、ここでもアメリカのように纏め買いが基本なのだろうか。

僕はシャワーで使うシャンプーとペットボトルのインカコーラに水を買って店を出た。店の出入口には屋台が何件かあったが、できたてのホットドッグを売る店が一番人気だ。10分待っても材料が追いつかず、行列は一向に減らない。諦めて、隣の飲茶の屋台でひとつまみ注文することにした。