まだ交通量が少ない未明のリマ市街地を抜けだし、パンアメリカンハイウェーを南下する。この道は北はアラスカからカナダ、米本土、メキシコ、パナマを経てチリ、アルゼンチンに至る南北アメリカを縦断する高速道で全長1万8000キロメートル、支線を含めると4万8000キロあるとの説もある。ペルー国内では北のエクアドル国境から南のチリ国境まで縦断している。市内を30分ほど走ったところで都市高速に合流しそのままハイウェーに入る。空が白み始める頃、道一本の両側が砂漠一面の景色になった。
そのあと、砂漠の中にも突然町並みが現れる。ガイドに聞くとピスコという街に来たとのことだ。ここで、ハイウェーからいったん外れ、パラカスを目指す。10数キロメートルほど走ったところで、時間としても10数分ほどでパラカスの港に到着。朝の7時半、予定通り3時間ぶりの休憩をする。
ここまで来るとさすがに真冬なのか、風が強い。
ここはペリカンの生息地としても知られていて、人間にも慣れた様子だ。ペリカンは写真撮影のために近づいてもしてもいっこうに逃げる素振りを見せない。ペリカンとの対面は10日振りか。8時の出港までの時間を浜辺で過ごす。
地上絵を越えるといよいよ半島と別れを告げ沖合いへ向かう。しばらくして海鳥の列に遭遇した。右から左へ全速力で突進する姿は今にもぶつかりそうだ。
それから十数分、小さな島にたどり着いた。周囲は切り立った崖になっていて、とても上陸できないから、海の生物の楽園になっている。
そして再び砂漠のハイウェーをひた走る。空の水色、砂の薄黄色、そして高速路のグレーの灰色系の殺風景な景色が延々と続く。
時々猛スピードで対向車が過ぎ去ってゆく。相手の車を見ていると、体感スピードは新幹線並みだ。つまり、こちらと相手の車のスピードとを合わせて300キロほどあるのではないだろうか。平均するとお互い150キロほど。後部座席に座っていたのでスピードメーターを直接は見ていないので正確なことは分からないが、とにかくとてつもなく速そうな感じがした。しかも、行けども行けども同じ景色、ハンドルを握っていない自分でさえ眠くなってしまいそうだ。
楽しい旅の水を差す話ではあるが、現実を見た。
殺風景なハイウェーで一際映える色使いだったので景色としては綺麗に見えたが、なんとなく心に引っ掛かるものがあって、写真を摂る気にはなれなかった。ガイドの運転手に聞くと、やはりそうなのか、墓標ということであった。隣町まで数百キロメートル離れているハイウェーだから、相当な速度でここを走り抜けるからだろうか。交通事故も絶えることがないようだ。
それにしても、十字架の数は想像以上に多い。道は広いといっても片側1車線がほとんどだから、正面衝突したらひとたまりもないだろう。しかも、ひとたび事故が起こると救援も至難の業だ。道のすぐ側面は砂漠だったり、場所によっては崖もあるから、一瞬の気の緩みが命取りになる。中には小さな教会と見間違えるほどの大きなものもあった。おそらく大型バスが衝突したのだろうか…。ちょっと気が重くなる。
ちょうどその頃、ハンドルがぐらついたような瞬間を僕は見逃さなかった。ガイドのドライバーはどう見ても眠そうに思えた。休憩を挟むも、朝4時半から走りっぱなしである。ドライバーも休憩するかどうか迷っているように見えたので、何とか安全に車を止めるように言葉を考えた。
路肩にはとても見えない、石ころが混じった砂漠の際に車を寄せ、しばらくの休憩時間となった。すぐ脇にはマイルストーンがあり、「K374」の表示があった。おそらくリマからの距離だと思われる。もうこれだけの距離を走ったようだ。この数字だとあと70キロほどでナスカに着くことになる。ほぼ計画通りの順調なドライブだから、休憩しても何ら問題ないはずだ。
パラカスを出て2時間弱、ちょうど正午になろうとしていた時間だった。パラカスでの寒さとは打って変わって、こちらは灼熱の太陽が照りつけていて暑いくらいだ。まわりは乾燥しきっているように感じられ、川や池など、水の気配がまるで無い。ときどき本線車道を走り去る車が激しい砂埃を撒き散らして、一瞬だけ視界が悪くなる。前も後ろもずっと続く遥かな一本道…。よくもこんなところに道路を造ったものだと思う。
ここまで来るとナスカは目の前だ。
待合室の正面には小さなブラウン管テレビが一台あり、ナスカに関するビデオテープが流されている。すると慣れ親しんでいるBGMが聞こえた。何のことは無い、これは日本のTBSが放送している「世界遺産」の番組だ。ナレーションももちろん日本語のままだ。
1時間もしないうちに僕らのフライトの順番がやってきた。ナスカの地上絵は上空から見るほうがはるかに分かりやすい。しかしながら、前評判から言うと、乗り物酔いする人にとっては最悪のフライトのようだ。何しろ30分間水平に保つことはほとんどなく、右に左に旋回するからだ。
あたりまえのことだが、地上絵をしっかりみようとなると、水平に飛んでいるわけにはいかないからだ。彼の知り合いが以前ナスカに来た時に、フライトの直前に昼食をとったところ現地の人から失笑されたという。そのときはわからなかったようだが、あとからその理由がわかったと言う。
ナスカの遊覧飛行はパイロットと合わせて定員6名の小さなセスナ機を使う。ナスカの遊覧飛行を一手に担っているアエロパラカス社は複数のセスナを持っていて、効率よく順々に飛行機を飛ばしている。ちょうど飛行場を来る直前にも上空に急旋回するセスナを何度となく見ていた。順番がやってきたところでセスナを背景に記念撮影。それから右手にデジカメ、左手にムービーと、両手をふさいだ状態で後部座席に座った。
搭乗してから15分は空港に足止め。その間2機ほど着陸機があった。そして出発。窓から外を覗くとタイヤが高速で回転するところまで見える。セスナならではの体験だ。離陸はあっけないほど軽々浮く感じだ。最初のくじらの地上絵でアナウンスがあったが見逃してしまう。
地上絵を見るのは想像以上に難しい作業だ。実際の絵は空からは思ったほど大きく見えないにもかかわらず、すぐ近くまで縦横無尽に線が引かれている。それは地上絵の一部であり、過去使用されていた道路であり、一部は現在も使用されている道路である。また、山腹には地上絵を避けるようにして洪水跡が曲線になっているところもある。その他にも三角形や滑走路のような長方形の図形がたくさんあって、そのあいだに良く知られた地上絵がある。つまり、ナスカには予め知られているものだけではなく、たくさんの地上絵や天然、あるいは人工の線があるのだ。
しばらくの休憩を終えて、今度は来た道を逆に行く。ここで昼食のロモ・サルタドをガイドが買ってきてくれた。牛肉にポテトと玉ねぎを炒めたのがライスに乗っているペルー料理だ。僅か数キロの移動時間で食事をする。同乗者は、あの強烈な旋回フライトを終えてすぐに昼食をかきこむ僕を見て驚いていた。
そうしているうちに、赤い塔がハイウェー沿いに立っているのが見えた。遊覧セスナからも見えたこの塔はミラドールと言われ、ナスカをこよなく愛したマリア・ライヘ氏によって立てられた。同氏はドイツ人女性の数学者で生涯をナスカ地上絵の研究とその保存に生涯を捧げたことで知られている。
ライヘ氏が危惧したことは現在も変わっていない。驚くべきことだが、実は今走ったパンアメリカンハイウェーを造るために幾つもの地上絵が破壊されており、実際、分断されているものもある。年間1ミリメートルも雨が降らないこの場所で地上絵は数百年保たれてきたが、近年その劣化は激しいといわれる。不断の努力なくしてはこの世界遺産は危機遺産になるかもしれないのだ。
ミラドールは飛行機からは地上絵を見られない人、旅行客以外にも手軽に地上絵を楽しめる展望スポットになっている。
デジカメでうまく撮影できないときのためにケータイカメラでの撮影も試みる。
砂漠の夜は急激に訪れる。1時間ほど前にミラドールを出たときは青空だったが、もう地面すれすれに太陽がある。あまりの美しさを写真を撮ろうと、しばらく車を停めてもらった。そのまま日没までここで待ちたかったが、予定通りリマに着かなくなるため、惜しみつつここをあとにする。
そしてさらに1時間ほど走って、リマから200キロメートル、ちょうど行程の半分を進んだチンチャアルタの街でドライブインに入る。
それから2時間、夜の8時10分。ほぼ15時間ぶりにリマ市内に入る料金所のゲートをくぐった。わがままを聞いてもらって、途中何度も停まり、現地を発つのを遅れたにもかかわらず、予定より30分ほど早くペンシオンに着いた。およそ900キロメートル。この旅でおそらく最初の(そして、おそらく最後だろう)ハードスケジュールだったが、パンアメリカンハイウェーでパルパを疾走した爽快感で満たされた。