2007年8月8日水曜日

Day28─パンアメリカンでパルパ行き(ナスカ)

今日は飛行機での移動を除いた、地上の移動距離としては最長だ。ナスカまでの距離はおよそ440キロメートル。それを行って帰ってくることになるから、ほとんど一日中の移動になる。4時の起床時間は、これまでで最も早かった。

まだ交通量が少ない未明のリマ市街地を抜けだし、パンアメリカンハイウェーを南下する。この道は北はアラスカからカナダ、米本土、メキシコ、パナマを経てチリ、アルゼンチンに至る南北アメリカを縦断する高速道で全長1万8000キロメートル、支線を含めると4万8000キロあるとの説もある。ペルー国内では北のエクアドル国境から南のチリ国境まで縦断している。市内を30分ほど走ったところで都市高速に合流しそのままハイウェーに入る。空が白み始める頃、道一本の両側が砂漠一面の景色になった。その先進行方向の右側には太平洋の海原、左側に砂山があり、遥か先まで延々なる砂漠を見た。

そのあと、砂漠の中にも突然町並みが現れる。ガイドに聞くとピスコという街に来たとのことだ。ここで、ハイウェーからいったん外れ、パラカスを目指す。10数キロメートルほど走ったところで、時間としても10数分ほどでパラカスの港に到着。朝の7時半、予定通り3時間ぶりの休憩をする。

ここまで来るとさすがに真冬なのか、風が強い。当然、海水浴場も無いが、沿岸には浜茶屋のような店が何軒も立ち並んでいる。そのうちの1軒に立ち寄る。こちらですっかりお気に入りとなったインカ・コーラのペットボトルを買うのを交換条件にトイレを貸してもらう。

ここはペリカンの生息地としても知られていて、人間にも慣れた様子だ。ペリカンは写真撮影のために近づいてもしてもいっこうに逃げる素振りを見せない。ペリカンとの対面は10日振りか。8時の出港までの時間を浜辺で過ごす。

対岸のバジェスタス島までは2時間弱のクルーズ旅。港税1ソルを払って20人乗り程度乗れる屋根無しのエンジン付きボートに乗船する。同様の船2隻の隊列で移動した。パラカスの港は半島の内側にある。船で沿岸を30分ほど進んだところでナスカを思わせる燭台の地上絵が見えた。その名をカンデラブロと呼び、全長200メートル弱で幅70メートルほどの巨大な地上絵だ。これができた理由は未だに明らかになっていない。

地上絵を越えるといよいよ半島と別れを告げ沖合いへ向かう。しばらくして海鳥の列に遭遇した。右から左へ全速力で突進する姿は今にもぶつかりそうだ。その数や数えられないほどある。隊列の先頭と最後尾とは一体何キロの距離があるのか想像すらできない。まるで海のハイウェーだ。そして不思議なことに隊列は順序よくはぐれることもなく、一直線で流れていった。

それから十数分、小さな島にたどり着いた。周囲は切り立った崖になっていて、とても上陸できないから、海の生物の楽園になっている。バジェスタス島は現地ではミニガラパゴスと呼ばれていることからも頷ける。ボートはエンジンを止め、ゆっくりと島を半周する。荒波に削られてできた天然のアーチ橋の下は強烈な急流になっていて、ボートでくぐることはできない。「橋」の上はおびただしい数の海鳥が羽を休めていた。先ほど全速力でボートを横切った海鳥だろうか。それから、しばらく移動すると、次はアシカのような群れに遭遇する。ペンギンの群れも見られた。10時ちょっと前にパラカス港に帰港。

そして再び砂漠のハイウェーをひた走る。空の水色、砂の薄黄色、そして高速路のグレーの灰色系の殺風景な景色が延々と続く。南米を貫く高速道ながら、思ったよりも交通量が少なく感じられた。というより、実際は車が少ない訳ではないが延々と続く一本道に、時々にしか車がすれ違わないため、交通量がより少なく感じられるからかも知れない。リマを出たときは空一面がどんよりとした曇り空で覆われていたのだが、イカに入ってからは次第に空が明るくなってきた。出発前に宿の主人が言っていたが、この先からナスカ方面は常に天気は晴れだという。

時々猛スピードで対向車が過ぎ去ってゆく。相手の車を見ていると、体感スピードは新幹線並みだ。つまり、こちらと相手の車のスピードとを合わせて300キロほどあるのではないだろうか。平均するとお互い150キロほど。後部座席に座っていたのでスピードメーターを直接は見ていないので正確なことは分からないが、とにかくとてつもなく速そうな感じがした。しかも、行けども行けども同じ景色、ハンドルを握っていない自分でさえ眠くなってしまいそうだ。

楽しい旅の水を差す話ではあるが、現実を見た。ハイウェーを走っていて何度となく気付いたのであるが、道の両サイドに犬小屋サイズの小さな十字架がたくさんあるのを見た。ほとんどが石かコンクリートでできたもので、色は白か水色やクリーム色といったの暖色系の色である。古いものから新しいものまで様々だ。比較的新しいものには綺麗な花が添えられていたものが多かった感じがする。それらはあるところでは立て続け建っていて、あるところでは十数キロほど離れていることもある。

殺風景なハイウェーで一際映える色使いだったので景色としては綺麗に見えたが、なんとなく心に引っ掛かるものがあって、写真を摂る気にはなれなかった。ガイドの運転手に聞くと、やはりそうなのか、墓標ということであった。隣町まで数百キロメートル離れているハイウェーだから、相当な速度でここを走り抜けるからだろうか。交通事故も絶えることがないようだ。

それにしても、十字架の数は想像以上に多い。道は広いといっても片側1車線がほとんどだから、正面衝突したらひとたまりもないだろう。しかも、ひとたび事故が起こると救援も至難の業だ。道のすぐ側面は砂漠だったり、場所によっては崖もあるから、一瞬の気の緩みが命取りになる。中には小さな教会と見間違えるほどの大きなものもあった。おそらく大型バスが衝突したのだろうか…。ちょっと気が重くなる。

ちょうどその頃、ハンドルがぐらついたような瞬間を僕は見逃さなかった。ガイドのドライバーはどう見ても眠そうに思えた。休憩を挟むも、朝4時半から走りっぱなしである。ドライバーも休憩するかどうか迷っているように見えたので、何とか安全に車を止めるように言葉を考えた。2回目にハンドルがぐらつく感じがしたところで、思い切って「休憩しよう!」と提案した。ガイドも同じ考えだったようだ。

路肩にはとても見えない、石ころが混じった砂漠の際に車を寄せ、しばらくの休憩時間となった。すぐ脇にはマイルストーンがあり、「K374」の表示があった。おそらくリマからの距離だと思われる。もうこれだけの距離を走ったようだ。この数字だとあと70キロほどでナスカに着くことになる。ほぼ計画通りの順調なドライブだから、休憩しても何ら問題ないはずだ。

パラカスを出て2時間弱、ちょうど正午になろうとしていた時間だった。パラカスでの寒さとは打って変わって、こちらは灼熱の太陽が照りつけていて暑いくらいだ。まわりは乾燥しきっているように感じられ、川や池など、水の気配がまるで無い。ときどき本線車道を走り去る車が激しい砂埃を撒き散らして、一瞬だけ視界が悪くなる。前も後ろもずっと続く遥かな一本道…。よくもこんなところに道路を造ったものだと思う。

眠気が覚めたところで再びナスカを目指す。すると10分ほどでちょっとした市街地を通る。そしてまた元の砂漠の一本道に戻った。それからしばらくして、それとは全く異なる地形になる。急カーブの山道あり、トンネルあり。下を覗くと川があり周りの一部だけ僅かながら緑も見える。砂漠のオアシスのようにも見える。その周辺だけはちょっとした街になっていて、水の恵みを受けているように見える。道路の脇にもところどころ木々が見られる。このあたりがパルパだろうか。

ここまで来るとナスカは目の前だ。料金所を超えて10分ほど走ったところで、リマから約400キロメートルを超えるドライブでナスカの遊覧飛行場に着いた。現在昼の1時。事務所で搭乗予約を確認し、遊覧飛行の順番が来るまで空港内の待合室で休む。待合室の外には中庭のようなものがあって、今は使われていないプールに水が張っている。中庭の壁は水色に塗られてあって、小さなリゾートホテルの雰囲気だ。

待合室の正面には小さなブラウン管テレビが一台あり、ナスカに関するビデオテープが流されている。すると慣れ親しんでいるBGMが聞こえた。何のことは無い、これは日本のTBSが放送している「世界遺産」の番組だ。ナレーションももちろん日本語のままだ。今回一緒に同乗した、横浜から来た旅行客と「この意味がわかるのは多分僕らだけだろうね」と話した。

1時間もしないうちに僕らのフライトの順番がやってきた。ナスカの地上絵は上空から見るほうがはるかに分かりやすい。しかしながら、前評判から言うと、乗り物酔いする人にとっては最悪のフライトのようだ。何しろ30分間水平に保つことはほとんどなく、右に左に旋回するからだ。

あたりまえのことだが、地上絵をしっかりみようとなると、水平に飛んでいるわけにはいかないからだ。彼の知り合いが以前ナスカに来た時に、フライトの直前に昼食をとったところ現地の人から失笑されたという。そのときはわからなかったようだが、あとからその理由がわかったと言う。フライトの直後、吐きそうになって大変だったようだ。横浜の彼もかなり乗り物酔いがひどいということで準備良く酔い止めの薬を持ってきていた。僕もふだんは飲まないが、おこぼれにあずかることにした。

ナスカの遊覧飛行はパイロットと合わせて定員6名の小さなセスナ機を使う。ナスカの遊覧飛行を一手に担っているアエロパラカス社は複数のセスナを持っていて、効率よく順々に飛行機を飛ばしている。ちょうど飛行場を来る直前にも上空に急旋回するセスナを何度となく見ていた。順番がやってきたところでセスナを背景に記念撮影。それから右手にデジカメ、左手にムービーと、両手をふさいだ状態で後部座席に座った。

機内は縦に3列、横に2列なので、全員が窓際になる。左右のどちらに座るかによって地上絵の見え方は若干異なるものの、機体を左右に傾けるため、一通り見ることができる。しかしながら、常に揺れる機体からデジカメにショットを収めるのは至難の業だから、肉眼で見るかデジカメで撮るかは臨機応変に対応しなければならない。知らないうちにフライトが終わっていたとならないようにと、ムービーを通して肉眼で確かめる傍ら、機会があればデジカメで撮ることにした。

搭乗してから15分は空港に足止め。その間2機ほど着陸機があった。そして出発。窓から外を覗くとタイヤが高速で回転するところまで見える。セスナならではの体験だ。離陸はあっけないほど軽々浮く感じだ。最初のくじらの地上絵でアナウンスがあったが見逃してしまう。

地上絵を見るのは想像以上に難しい作業だ。実際の絵は空からは思ったほど大きく見えないにもかかわらず、すぐ近くまで縦横無尽に線が引かれている。それは地上絵の一部であり、過去使用されていた道路であり、一部は現在も使用されている道路である。また、山腹には地上絵を避けるようにして洪水跡が曲線になっているところもある。その他にも三角形や滑走路のような長方形の図形がたくさんあって、そのあいだに良く知られた地上絵がある。つまり、ナスカには予め知られているものだけではなく、たくさんの地上絵や天然、あるいは人工の線があるのだ。

飛行中で唯一カメラ撮影に成功したのが「フクロウ男」の地上絵だった。別名、宇宙飛行士とも言われているものだ。山の斜面に沿って造られていたので見つけられやすかったことが幸いした。その後はデジカメ撮影は諦め、肉眼で焼き付けることにした。ムービーは回しっ放しにしていたので、運がよければ写っているかも知れないと期待しながら…。ハチドリや蜘蛛、コンドルなど、お馴染みの地上絵をナマで見た。

上空を飛んでいるのは僅か30分ほどだったが、昔にタイムスリップしたような感覚だった。最後の木の地上絵を通過するとやっと機体は平行を保ちながら、山腹を沿うように飛行場に向かう。着陸してセスナを降りると自分は平気だったが、同乗者が苦しそうにしていた。やはり飛行機酔いだったようだ。撮影はおろか、地上絵すらまともに見られなかったという。ここはとりあえずしばらく横になってもらう。ガイドが酔いにも効くとお茶を買ってきて飲ませた。30分間の急旋回にもびくともしない丈夫な身体をくれた両親に感謝。

しばらくの休憩を終えて、今度は来た道を逆に行く。ここで昼食のロモ・サルタドをガイドが買ってきてくれた。牛肉にポテトと玉ねぎを炒めたのがライスに乗っているペルー料理だ。僅か数キロの移動時間で食事をする。同乗者は、あの強烈な旋回フライトを終えてすぐに昼食をかきこむ僕を見て驚いていた。

そうしているうちに、赤い塔がハイウェー沿いに立っているのが見えた。遊覧セスナからも見えたこの塔はミラドールと言われ、ナスカをこよなく愛したマリア・ライヘ氏によって立てられた。同氏はドイツ人女性の数学者で生涯をナスカ地上絵の研究とその保存に生涯を捧げたことで知られている。最初は水を求めて街に出るたびに偏見と闘いながら、現地語を学び、現地に根ざした研究に力を注ぎ、次第にその活動を理解されるようになったそうだ。そんな彼女が地上絵が荒らされ傷つくのを痛んで、建てたのがこの展望塔だといわれる。

ライヘ氏が危惧したことは現在も変わっていない。驚くべきことだが、実は今走ったパンアメリカンハイウェーを造るために幾つもの地上絵が破壊されており、実際、分断されているものもある。年間1ミリメートルも雨が降らないこの場所で地上絵は数百年保たれてきたが、近年その劣化は激しいといわれる。不断の努力なくしてはこの世界遺産は危機遺産になるかもしれないのだ。

ミラドールは飛行機からは地上絵を見られない人、旅行客以外にも手軽に地上絵を楽しめる展望スポットになっている。もちろん、運良く飛行機で地上絵を見られた僕たちも、1コイン、わずか1ソルで登ることができる。ただし、大きな塔ではないので同時に登れるのは10人が限度だ。しかもすれ違うのに肩が触れ合うほど階段が狭いので、譲り合って乗り降りしなければならない。だが、手や木の地上絵など、一部だけではあるが、スケールの大きさを感じることができるのは、むしろこちらの方だ。

デジカメでうまく撮影できないときのためにケータイカメラでの撮影も試みる。ナスカでの滞在は3時間ちょっとだったが、その光景は期待を上回る圧巻だった。そして、またリマまで400キロメートル以上の距離を移動することに。

砂漠の夜は急激に訪れる。1時間ほど前にミラドールを出たときは青空だったが、もう地面すれすれに太陽がある。あまりの美しさを写真を撮ろうと、しばらく車を停めてもらった。そのまま日没までここで待ちたかったが、予定通りリマに着かなくなるため、惜しみつつここをあとにする。

そしてさらに1時間ほど走って、リマから200キロメートル、ちょうど行程の半分を進んだチンチャアルタの街でドライブインに入る。ここは大きな街のようだが、観光客にとっても申し分ないほど施設が充実している。ドライブインの建物も新しく、洒落た造りをしているし、トイレも水道の蛇口も清潔だ。ペルー全体がどうなっているかは分からないが、観光客が訪れそうな場所はかなり気配りをしているようだ。国を挙げて観光客を呼びこもうと努力の跡が伺える。併設されているカフェレストランでコーヒーとケーキを買ってお腹を満たす。6時を少しまわったばかりだったが、既にもう辺りはすっかり暗くなっていた。


それから2時間、夜の8時10分。ほぼ15時間ぶりにリマ市内に入る料金所のゲートをくぐった。わがままを聞いてもらって、途中何度も停まり、現地を発つのを遅れたにもかかわらず、予定より30分ほど早くペンシオンに着いた。およそ900キロメートル。この旅でおそらく最初の(そして、おそらく最後だろう)ハードスケジュールだったが、パンアメリカンハイウェーでパルパを疾走した爽快感で満たされた。