ゴンドラ乗り場に向かうエレベータまで行列ができていて、さらにはそのエレベータも1台動かなくなっていたため、ゴンドラに乗るまでは小一時間かかったが、乗ってからは10分もしないうちに1000メートル先の頂上に着いた名前の通り、頂上がどこにあるのかわからないような平面をしていて、思ったほど高いところにいるとの認識も無いが、滑落すれば普通の山より危険なところだそうだ。頂上は広く、どこでも歩けそうな気がするが、「歩道になっているところ以外は歩かないように」との注意看板がある。こちらは、安全な場所を知り尽くしているガイドに従っているから、単独行動よりは安心感がある。観光客が普通は行けない、歩道の終点から少し先のちょっと危険なエリアにも案内してくれた。
朝のテーブルマウンテンは快晴。おかげですばらしい眺望を堪能した。眼下には特徴的な形をしたライオンズ・ヘッドや、反アパルトヘイト闘争の士、ネルソン・マンデラ元大統領が29年間投獄されていたロベン島も一望できる。通常、テーブルマウンテンを訪れるのは朝がベストだ。上空の気流の関係で、夕方は頂上付近が霧に覆われることが多い。富士山でも同じような現象が見られる。昨晩、この近くまで来たときは頂上は霧に覆われていたため、運よく登られたとしても良い眺望は期待できなかったかも知れない。来た道を戻って、今度はケープタウンの市街地に向かう。途中、現金の持ち合わせが無くなったので、日本であらかじめ入金しておいたシティーバンクのワールドキャッシュから現金を引き出すため、街中のATMに案内してもらうことになった。ケープタウンには、街中にATMを擁する大きな銀行が2つある。最初に行ってくれたのは「スタンダードバンク」だったが、どうしても上手く引き出せなかった。そういえば、昨日ウォーターフロントのショッピングモールでも同じだった。この時は、もう一つの「ABSA」ではうまくいっていた。そこで、「ABSA」に行くよう頼み、何とか出国までの資金を確保。その間、ガイドが後ろから見守ってくれた。一人旅ではありがたいサービスだ。
その後、高層ビル群と中世の城壁が混在する不思議な空間、キャッスル・オブ・グッド・ホープの前で車を停めた。ここは、南アフリカの文化遺産だが、一部は現在でも普通に使われているとのこと。
建物の2階には立派なダイニングスペースがあり、何十人かの出席者の確保と、一人1,500ランド(だったと思う。日本円で約20,000円ほど)の利用料を払えば、料理込みのディナーパーティーやウェディングパーティーが催すことができるとのことであり、実際に利用されているそうである。(まあ、そんな情報、外国人の我々には役に立たないが…)。クルマで再び市の中心部を抜け、車窓からシティーホールを望む。このバルコニーは、ネルソン・マンデラ氏が解放され自由の身になった直後に、数千の群集に向かって演説した有名な場所だ。今では通りを隔てた広場は閑散としていて、その「通り」だけはひっきりなしに車が行き交っているが、当時あったこの国の歴史の重大な転換点に遭遇した、冷め止まぬ熱気を想像してみる。その他にも歴史的な建物が数多くあったが、車窓からの見学。そして、ボー・カップ地区で車を降りた。
ここは100年ほど前にできた住宅地だが、まるで子どもたちが絵具で絵を描いたような、実にカラフルな壁の家が立ち並んでいる。家主たちは、思い思いの色で自宅を着飾っている。ガイドの説明によると、ここの住人はマレーシアやインドネシアなど、東南アジア各地から職を求め移住してきて、彼らは専ら、大工、ペンキ塗り職人、そして家具職人になっているそうだ。日本では壁の色一つで、住民同士がもめている話を聞くが、それもここでは笑い話になる。ここでは、目立たない家のほうが、むしろ浮いてしまうのだ。今度は一気に郊外まで移動。約6時間後に発つケープタウン国際空港を目にやると、これまでとはまるで異なる風景に出くわす─「タウンシップ」だ。
格差社会というコトバが日本で言われて久しいが、それよりもはるか前からここには歴然と存在している。アパルトヘイトが公式に撤廃されて10年を超えるが、経済格差がまだまだ改善しているとは言えないのが、この国の現状である。タウンシップにもランクがあり、アジア系移民が多い地区は一軒家がところどころにあり、まだ恵まれているほうだ。ガイドは、黒人が中心の地区のところに指差して、「この2キロメートル×4キロメートルのエリア内に100万人が住んでいるんだ」と言った。信じられない!ケープタウンの人口は約800万人。大阪と同規模だ。そこに住んでいるのはタウンシップから海に面した高級住宅地まで様々である。矛盾を抱えながらも経済成長を続ける街。ガイドに聞いてみると、タウンシップの人たちは、同じケープタウンの近代的な高層ビル群や高級ホテルのことを皆知っていると言う。意外な感じもしたが、彼らのうちの何割かは、両地域を結ぶバスで移動し、昼間は大都会で働き、夕刻にはタウンシップに戻る生活をしていて、その人が大多数のタウンシップの生活を支えている構図だという。3年後にワールドカップを控えるこの国にもたらされる富の恩恵が、確実に彼らにもあずかれるよう願わずにはいられなかった。
少し走ると、一変したのどかな風景に変わる。3時過ぎ、ガーデンテラスのテーブルに着いて、遅い昼食をとる。まわりの池には鴨が気持ちよさそうに泳いでいる。その後、「ワインルート」へ。
近年、南アフリカにもおいしいワインが生産されるようになった。まず、最初のワイナリー「Neethlingshof」でテイスティングした。夜を待たずにワインをたしなんだのはおそらく今日が始めて。アフリカみやげにお気に入りのワインを送ることを考えていたが、もう1件行ってからということで、とりあえずキープすることにする。2件目を急いで回って、やはり最初のワイナリーにすることに決めた。閉館まぎわに駆け込み、先にキープしていた赤と白を3本ずつ、日本に送ることになった。もちろん、どちらも日本では手に入らないものだ。航空便なら10日そこそこで着くが、本体よりも輸送費が高くなる。したがって、ここは船便で妥協することにした。ワイナリーを出て、30分もするとケープタウンの国際空港に着いた。最後に握手を交わし、アフリカでの1週間の旅を締めくくる。真冬の南アフリカから真夏のロンドンを経由して、一気に北欧へ。搭乗2時間前にヒースロー行きのBA058便の搭乗手続きを済ませた。